がん保険の団体ができていない官公庁というのは、これまで他の代理店が団体設置を目論んだものの、人数を集めることができずに撤退したか、ハナから無理と諦めたかのいずれかだ。大阪や奈良、京都、三重の○○郡〇〇町や○○村役場がいくつもあり、近い所から順番に団体の有無を確認し、募集の許可を得ることから、営業補助見習いのスタートだった。

とにかく寡黙で人と話すのが大の苦手にも拘らず、何も考えずに入社してしまったのだ。営業車で先輩に同行する際、自分は運転に集中し会話をすることが億劫なため、こちらからは進んで話しかけることもしない状態だった。恐らく、こんな状態では営業補助も務まらないと思われたのか、ある日、宿題が出されることとなった。それは、日経新聞のコラム「春秋」を毎朝読んで、どのようなことが書かれていたのかを田舎の役場に向かうまでに先輩に教えるという宿題だった。

インプットしたものをアウトプットする習慣を付けたり、アウトプットすることを前提にインプットすることで、筆者が伝えたいことは何なのか、世の中ではどのようなことが話題になっているのかなどを自分の言葉で手短に話せるようにする訓練のための取り組みだった。余りにも話せない自分には、有効な訓練と考えて下さってのことだったと思いますが、当時の自分には、苦痛以外の何物でもなかった。今思えば、もっと真剣に取り組んでおけば、人生がもっと変わっていたかもと、後悔先に立たずの心境だが、後の祭りだ。

毎朝、通勤電車で新聞を読む習慣は付いたものの、ただ記事を眺めているだけで全く要約ができないのだ。義務教育は元より高校、大学と長年国語に触れてきたが、大の苦手科目でいつも逃げ腰だったこともあり、改めて自らの国語力のなさに呆れながらも、この期に及んで克服しようという気にもなれず、相変わらず逃げることばかり考えていた。営業車に乗り込んでも、ただ運転に集中しているフリをして、自ら宿題について触れることはせず、知らない素振りをしていた。結局は、シビレを切らした先輩から聞かれる羽目になり、要領を得ない話をして途中でワケが分からなくなるパターンの毎日だった。

By hb

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です