一向に宿題の成果が出ないまま、それでも毎日同じように黙るところからスタートし、シビレを切らした先輩から聞かれてようやく応え始めるも、結局何が言いたいのか分からないと言われる日々は、半年以上は続いたはずだ。逃げ腰で取り組んでいたからか全く身につかず、流石に諦められたのか、いつの日からか聞かれなくなり、ホッとしたことだけ覚えている。新入社員ならもっと素直に取り組み、継続は力なりで成長できる可能性があったはずなのに、そのチャンスを放棄する頑固な新入社員には、相当先輩を悩ませていたのかも知れない。

営業活動は、大阪から田舎の町村役場周りをするために早朝に出発し、官公庁の団体募集の折衝を総務や人事の窓口に出向きますが、先方には興味のあることではないため、勝手にやって下さいという感じがほとんどだった。今のように出入りが厳しく制限されるような時代ではなかったため、募集許可さえ得られれば、公務時間以外の昼休みや休憩時間に自由に出入りして声を掛けることができたのだ。

とは言え、自由に出入りできるというのは他社の募集も同様で、いわゆる保険のおばちゃんやお姉さん方とも鉢合わせとなり、競合が多いなかでのせめぎ合いなのだ。しかも、相手は古き良き慣習?と言われたGNP戦略、つまり、義理と人情とプレゼントで挑んでくるのだ。こちらはそのような予算や戦略は使えず、1口数百円程度の低廉な商品を武器に、人数を集めることを重視し、手軽さと万一の安心に興味を持ってもらう必要があったのだが、田舎の町村役場では、やはり人と人とのつながりを重視するGNP戦略がマッチしていたようだ。

そんな時に先輩がとった戦略は、役場庁舎内での募集はそこそこに、役場の出先に目を向けることだった。町村が運営する幼稚園や保育所の先生方や、小中学校の給食調理の方などだ。出先ごとに責任者が居て、それぞれに集まってお茶などを飲んで会話をする時間があることを知り、そこに目を向けたのだ。競合はほとんど来ず、募集許可を得ていることを伝えると、役場に言われて来たと思われて、みんなが集まっている時間帯にお邪魔ができるのだ。5分だけと前置きしてパンフレットを配り、簡易説明会のはじまりだ。そこで百戦錬磨のトークが炸裂すると、向こうは面白がって聞いてくれるようになり、質問が出てくればしめたもの。5分が10分、30分となり、いつの間にか契約書に書かせてハンコを押させているのだ。まるで魔法使いのようだった。

By hb

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