介護業界という全く未知の世界に誘われたものの、当面の生活には何らかの稼ぎが必要であり、スキマ時間だけという事で手伝うようになった。特に資格を持っている訳ではないので、専門的な支援は出来ないものの、通院介助やら、家事支援やら、自分でも出来る事がそれなりにあったのだ。特に運転するのは好きな方だったので、通院介助をメインに、家事支援では買い物代行や清掃などを手伝った。
車椅子ごと載せられる自動車が出始めて間もない頃で、大き目のハイエースと小回りのきくワゴンRを使って、曜日ごとに大体決まったお宅と病院との送迎をしていた。必ず付き添いのヘルパーさんも同乗されて、お客様との会話をして下さるので、基本的には運転に集中すれば良かった。とは言え、無口でいるだけでは気まずくなるので、少しは苦手な会話もせざるを得ない状況だった。
ただ幸いな事に、同乗するヘルパーさんの中に、やはり同じように社長から引き抜かれてきていた昔からの顔見知りであり、非常に陽気でおしゃべり好きな占い師さんが居て、いつも車内での会話を盛り上げてくれていた。そのお陰で、ほとんど自分に会話の主導権がくることはなく、運転に集中しながら、偶に相槌を打っておけば良かったので、本当に助かった。
当時は、介護保険が世に出るか出ないかの頃で、民間の介護サービス提供会社に自費で頼まれる方というのは、行政の支援がある方か、裕福な方々がほとんどだったと思う。透析病院や福祉施設との提携による紹介を受けてお客様との接点をいただいていた気がする。ただ、どうしてもサービスを提供する側の人との相性が影響するなど、人との関係構築が上手くできないとお互いにしんどくなるものなのだ。ですから、中々人が定着することはなく、常に人手は不足していた。そして常に運転資金も不足しているようだった。人と金という現実をクリアできない事には、この業界では生き残れないという事をまざまざと見て実感する事ができたのだ。