独立を志したと言えば、聞こえは良いかもしれないが、結局は組織の中で上手く立ち回れないためや、他人に人生を左右される事の違和感に耐えられなかっただけだったのだろう。それならそれで、自らのビジネスを世に問えるアイデアや商品開発、マーケティングや営業力で勝負すれば良いだけのことだ。それらが皆無に等しいにも拘らず、逃げる事だけを考えていたのだ。皆無なのであれば、そこから学びながら、身につけながら、もがきながら、必死に、無我夢中で、寝食を忘れてでも、精一杯取り組めば良いものをそうしなかったのだ。

結局のところ、何をするのも中途半端で、チョット上手く行かないとすぐに諦めて、自分はダメなんだと自分を責めて落ち込んで、ヤケ酒に逃げての繰り返しだった。一向に進むべき方向、ミチが見えないままに、時間と月日を費やすばかりだった。今思えば、大したチャレンジらしいチャレンジをした訳でもなく、自分の殻の中だけでああでもないこうでもないと考えたり、知識だけを得ようとしたりしながらも、それらを実際の行動に繋げていなかっただけだった。圧倒的に行動量が不足していたのだから、行動量に見合った結果しか出ないのは当然だったのだ。果敢にチャレンジしての挫折ではなく、もっとチャレンジできたのにしなかったことによる棄権のようなものだった。

自分の殻を破れないままにダラダラと時間ばかりが過ぎゆくある日、前職の社長や先輩からご連絡をいただき、近況報告と情報交換を兼ねて会食にお誘いをいただいた。恐らくは、上手く行っていない事を察知しての事だろうと思い、気まずく気が重く感じつつも、無下に断るのも躊躇われたので厚かましくも出向くことにした。多分顔を見ただけでどんな状況かもバレていたと思うし、もしかしたら頑なな態度や醸し出す雰囲気で話す気はないアピールをしていたのかも知れないが、敢えて余りコチラの状況を聞かれる事はなかった。

あくまでも、会社の現状やどのような営業スタイルを元にどれぐらいの結果を出していて、私が居た頃との違いや当面の展望や困っている事を話してくれるような感じだった。それは、官公庁での保険募集営業スタイルは提携代理店にお任せして自らは行わず、高齢者マーケットに対しDMを発送して、その反応先に個別募集営業をしているという事だった。今の時代ならあり得ない事だが、当時はDM発送のための欲しい情報が簡単に手に入り、DMが届いても不信感を持たれることもなかったのだ。しかも、比較的時間もお金も余裕のある世代に対象を絞っていたためか、レスポンス率も非常に高かったようで、とてもじゃないが手が回らない状況にあり、是非手伝って欲しいとのオファーで、条件も破格だったのだ。

By hb

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