例えば一昔前であれば、携帯電話には電話機能、ウォークマンやiPodなどの音楽プレーヤーには再生機能、デジカメには写真撮影機能と、それぞれ単体で持っていないとそれぞれの使い方ができなかった。それが今やスマホ1つあれば、電話もできれば音楽も聴ける、写真やビデオも撮れるし見たり再生もできる、更にお好みのアプリを入れておけば、ゲームもできれば振り込みや買い物もできる、物を売ることもできる、飲食店や美容室の予約もできる。つまり、ベースのスマホさえあれば、あとは必要に応じてお好みのアプリを追加していけば自分仕様の使い方ができるようになった。

公的保障というのは、このベースとなるスマホ的な位置づけと考えることができる。国民皆保険制度と言われるように、日本に生まれたり居住したりしている以上は、皆がその恩恵を享受できるような制度が整っているのだ。それによって、医療を少ない負担で受けられたり、障害を負って働けなくなった場合に所得を保障したり、死亡により遺された家族の生活を破綻させないために所得を保障したり、贅沢はできないけれども、必要最低限の生活に困るようなことがないように配慮されて、それを国や国民が支える仕組みが整備されているのだ。

あとは、生活水準や所得水準に応じて、公的保障だけでは不足する可能性が想定され、その不安を払拭したいという人は、自助努力で民間企業が提供する様々な商品やサービスを私的保障としてオプションのように自由に追加していけば良いのだ。ところが、当時の民間保険会社が主力として販売する商品には、このような考え方で販売されているとは言えないものがほとんどだったのだ。つまり、万一の際に支払われる保険金額の設定金額、いわゆる必要保障額の算出時に、公的保障分を差し引いているとは、到底思えないような高い金額設定をしているケースが多かったのだ。当然その分保険料は高くなるし、掛け捨て部分を考慮すると、相当ムダな保険料を支払い続けている方が多かったのだ。

義理と人情、プレゼントのいわゆるGNP戦略で、人間関係を重視して親戚や友人、知人、紹介などを通じて、商品の中身の説明よりも、入っておく持っておくだけで安心感が得られるお守りみたいなものという口説き文句を武器に、断りにくい関係性や和を重んじる国民性も相まって、仕方なく入っておく感じのものというのが定着していたようだ。月々の安心料という名目で見た目の金額はそうでもないが、払い続けることで家の次に高くなると言われる買い物は、義理と人情にしてはかなり高くついていたのだ。

By hb

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