1点の壁を崩す事ができず肩を落としたままの状態とは言え、日々の仕事と生活は何事も無かったかのように営み続けるしかないのが逃げ場にはなっていたのかも知れない。保険営業のスタイルも時代の流れとともにDM戦略が個人情報の問題を指摘されるようになっていた事もあり、次第に個人情報を既に大量に持っているカード会社との提携に切り替えたり、折込チラシでレスポンスを得るものにシフトしたり、テレマーケティングによるアポイント作戦など、様々なスタイルを取り入れていた。
そうなると、人手もそれなりに必要になるため、事務所も広くしなければならないし、人も増やさなくてはならないしで、営業以外の雑務や管理的な仕事も同時にこなす必要に迫られていたのだ。雑務は特に問題ないのだが、人、特に女性社員を管理、育成するようなところになると、心が擦り切れそうになるぐらいのストレスがかかるのだ。元々人見知りが激しいというところもあるが、男と違って繊細で感情的な面を刺激しないような配慮とともに、口の利き方や身だしなみ、接し方など、あらゆるところに気を配っておかないと、全く相手にしてもらえなくなる場合があるのだ。
営業の仕事だけをしている時とは違って、人との関りが仕事の大半を占めるようになってくると、心理的な疲弊がかなり大きくなり、中々勉強しようという気力も削がれてしまうのだ。勿論それは単なる言い訳に過ぎないのだが、本当に毎日が億劫に感じられ、また昔の独立願望が顔を覗き始め出そうとしていたのだ。AFPに続きCFPを取得し、社労士に挑戦中の身でありながら、折角取得した資格を活かし、更に国家資格を取ることができればそれなりの仕事を得られるのではという幻想を抱くようになっていた。
結局は現実からの逃避の結果に過ぎないようではあるが、資格への再々挑戦は仕事の行き詰まりに端を発しながらも、漸く失意から吹っ切れたのだった。そしてまた独学による勉強と仕事の日々を過ごす生活が始まったのだ。最後の挑戦と決めて学校に行くことも考えたが、ある程度独学の習慣と学びのスタイルも出来つつあったので、どうせなら自力で突破することを目指す事にしたのだ。もう後はないと考えるとそれなりに気合が入っていたが、流石に3年目ともなると知識の積み上げ量が増えてくるからなのか、間違いやすいポイントやひっかけ問題の匂いのようなものを察知するなど、試験のコツみたいなものもあるように思えてきたのだ。