100人に数人の中に入る必要がある合格率だけに、矢張り結構なハードルである事を改めて認識しつつ、ある程度間違いやすいポイントや引っ掛け問題の匂いを感じられるようになってきたのは失敗からの学びによるものだ。最後の挑戦と決めた以上、何としても乗り越えたいと思うものの、確率論的には諦めが先立ちそうになるものだ。兎にも角にも学びのルーティンを維持して、毎日同じ事の繰り返しのようでいて、日々進歩成長していくイメージを持つように心掛けていた。
仕事においては再独立を意識していたので、如何に自分が抜けても大丈夫なようにしておくかを考えながら、雑務をマニュアル化するなど、水面下での準備を進めつつあった。独立ごっこだった前回と同じ失敗を繰り返さない為にも、個人事業ではなく法人化を模索していた。まずはFP資格を活かし、保険商品そのものを販売するのではなく、家計の見直しをキッカケに、長い人生をトータルで見える化したライフプランニングを行うことを主体に、家計の見直しや保険の見直しに繋がるような提案や相談を行うイメージを描いていた。
仕事と勉強と独立の準備とで中々ハードな日々ではあったが、逆に余計な事を考える時間がないぐらいの方が、切羽詰まった感覚でそれぞれに集中することができていた気がする。この当時で既に35歳という働き盛りであると同時に、社会や会社の中でも中枢を担うべき立ち位置であり、独立するには遅過ぎず早過ぎず丁度良いタイミングでもあった。社労士の資格が取れる保証はないものの、取れたら独立して取れなかったら会社に残るというぐらいの気持ちであるならば、再独立は恐らく上手く行かないだろうと感じていた。まずはFPを皮切りに独立し軌道に乗せる努力をしながら、その中で更に社労士資格が取れたのなら、その業務を加えたり軌道修正を行うという方向で進めることにしたのだ。
そして夏の暑い最中に迎えた最後の試験では、それまでの2年(2回)の試験と手応えとしては、何ら変わる事がなかったのだ。どちらとも言えない、また1点差辺りの線上程度の感覚だった。3年間根を詰めて取り組んできたものの、実務経験がないことを言い訳にしながら学び続けてきた感触がその程度であった事は自分の限界だったのか、努力不足だったのか、それでも何とか継続してきた事実は受け入れるようにした。そして、試験結果発表を前に会社を円満退職し再び独立したのだった。