二度目の独立は前回と同じ失敗は繰り返したくないという想いが強く、後には引けない状況をつくる為に、大風呂敷を広げるような取り組みばかりをしていた。まずは箱や形を整える事ばかりに時間と労力を割いていた。例えば、法人の設立、元手を確保するための高額な借金、事務所の賃貸借契約、電話・FAX等通信設備の導入、パソコン・プリンター等の導入、社員の採用、税理士との顧問契約等、まだ何の売上が立つ目処もないままに、次々と外堀を埋める感覚で進めていたのだ。今思えば、仏作って魂入れずになっていただけだったのだが。

でも当時の自分の心境は、背水の陣で臨む覚悟のつもりだったのだ。まずは先立つものが有る方が余裕を持てると思い、高額な借金をする事に取り組んだ。かなり緻密な(と言っても、素人ながらの甘々な根拠に基づくものだった)事業計画書を作成して当時の国金(国民生活金融公庫)に提出し、結果的には、父所有の自宅を担保に入れる事で審査を通していただいたのだ。身の引き締まるような借金を手に入れた事で本当に返していけるのだろうかという不安とともに、絶対に返さねばという責任を感じていた。

事務所の敷金やら、様々な設備にあれよあれよという間にお金が出ていく事ばかりだった。売上を立てるにもその戦力となる社員の採用も進めていた。どう考えてもまずは一人採用して順調に売上を上げられるようになってから増やすべきところ、面接でどうしても一人に絞る事ができないお二人で迷ってしまい、結局は思い切って二人ともに内定を出して、更に首を絞めようとしていたのだ。お二方とも営業力がありそうな方だったためだ。ただ、内定後にそのうちのお一人(年上の方)から、あれやこれやと口を挟まれる事があり、先が思い遣られた事から丁重にお断りをする等の失敗も起こしていた。

そんなこんなで外堀に気をとられながらも、営業活動を始動させるべく動き始めた。当時はまだ、FP資格やFPの仕事があまり認知されていなかった事もあり、まずは多くの人に知ってもらう事から始めようという事で、フロントエンドとして低額で保険の見直しができるというものを地域の無料コミュニティ誌に広告を出してみた。保険の見直しは無料で行うというのが当たり前の時代だった事もあって、反応は薄く中々問い合わせやご依頼がなかったのだ。それでも1回出すと数件程度は反応があったのだが、細やかに証券分析を行い、ライフプランに応じて公的保障でどの程度カバーされているかも含め、無駄なものを削り、不足するものを補うという教科書通りの提案では、中々クロージングまでいかないケースが多かったのだ。そこには提案内容以外の何か足りないものがあったのだ。

By hb

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です