元々引っ込み思案だった自分が保険の営業補助から社会人生活を踏み出し、いつの間にか営業をする事となり、独立を失敗して後戻りして再び保険営業やテレマなどを経て、FP資格や社労士資格を取得してまた独立し、その後様々なご縁をいただく中で講師の仕事もする事になるとは予想だにしなかった。今でも人前で話すのは億劫だし緊張するし、出来れば避けたいと思うほど苦手な事なのだ。そんな自分がよくも約6年間に亘り、2~3ヶ月に1回とは言え、1日5時間もの講義のコンテンツを考え、その為の情報収集や学びに取り組み、レジュメやパワポを作成し、人前で話し続けて来れたのが本当に不思議だ。

とにかく必死だったのだろう。何とかこの仕事で会社を成長させたいと思って取り組んで来た事は確かだ。それでも仕事においては結果で評価される面は否めないのだ。いくらまじめに必死に、低評価を避けられて来ていたとしても、相手の期待をはるかに上回るぐらいの評価というより、歓喜、感動、感謝を生み出す事ができなかったとするならば、成り立たないのがこの商売なんだと痛感したのだ。具体的にはアンケートなどで、普通とか、まあまあ理解できたとか、良かったなどのような評価で満足、安心しているようでは全く話にならないのだ。

次に繋がるには、あっという間に終わってしまったとか、目が覚めたとか、参加して得したとか、もっと聞きたかったというような評価を積み重ねる事で、リピーターや口コミになるものなのだ。残念ながら、そのようなレベルに到達する事はなく、その兆しも感じられず、ただ回を重ねたからといって身につくようなものでもなく、相当な意識と技術を駆使して訓練を重ねていく必要があるのと、どうしても持って生まれた才能とか、向き不向きも関係してくるものなのだ。そこで、スパッと諦めて終了させたのだ。

本当にこの仕事の為に生まれて来たと思えるかどうかは、辛い事や苦しい事があってもそれを楽しんでいけるかどうかなんだろう。そういう意味においては、ただ必死に辛い事苦しい事と向き合い、耐えながら歯を食いしばって取り組む場合は、どこかで自分の気持ちに蓋をしながら、折角始めた以上は途中でやめるのはカッコ悪いとか、恥ずかしいなど世間体を気にしていたり、結局自分が良く思われたいからやめる事すら決断できずにズルズル、ダラダラとしてしまうのだろう。自分には向いていなかった、失敗だったと思ったらスパッとやめて方向転換する、そういう決断が本当に自分が何の為に生まれて来たかを知る事に繋がるかも知れないのだ。かも知れないとしか言えないのは、まだ辿り着いていないからなのだ。

By hb

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